消費税率が改正されることで、増税前に!という言葉をよく目にするようになりました。
増税前に、、、のささやきが聞こえてくると、今買わないと損をするような気持ちになり妙に焦ってしまって、何か買わなくちゃと、わざわざ買うものを探したり。
または特に欲しいものがなくても、なんかないかな?と色々な情報源を見ているうちに衝動買い。
そんなことになりやすい時かもしれませんね。
皆さんはどうですか?
このページの目次
ミニマルな暮らしは心が安らぐ
私の場合、寺孫だと言うこともあってか、子供の頃からミニマルな物の持ち方をしてきました。
この世に存在する全てのものが、そこにある意味を持つと考えていたからです。
だからどこも散らからないし、大事にするし、不用品は持っていないのだと思います。そうしようと頑張ってもいません。
ミニマルというのは、必要最低限の。という意味を持ち、ミニマムの様なとことん削ぎ落としていくことではありません。最低限に豊かに暮らせることを感謝する暮らし、そんな感じだと思っています。
私の場合はいつ何を買うかを計画してあるおかげで、今の時期に急に必要になったり欲しくなるような物は何もなく、突発的に買い物をすることはありません。
今時期だと秋冬の買い物計画はもう終わっているので、必要あれば買いますが、今年は特に買うものがありません。
最近私がしていたことは、お買い物ではなくて冬支度の仕上げ。冬靴のかかと磨り減りをリペアに出して、それから今まで着ていた服もお直しに出して。
近所にある腕のいい服のお直し屋さんは頻繁に利用していて、パンツの裾を少し短くしてもらってぺたんこ靴に合うようにしてもらったり、シャツワンピースの袖のカフスをデザイン変更したり、マキシワンピースとマキシスカートはスニーカーでも似合う絶妙な丈にしてもらいました。
そして、クローゼットの拭き掃除と内容の整理も。靴箱も全部あけて入れ替えたり処分したり。
気持ちが新しくなり本格的な秋冬を迎えるのが楽しみです。
本質的に何を価値とするか
よく、お直し代がもったいなくて出す気になれないと聞きます。
でも私はお直し屋さんがいてくれないと困るくらい!!
だって一度クローゼットに迎えた服はどれもお気に入りなので簡単に飽きたりしませんし、新しく迎える服や物も同じですから。
自分にぴったり来るように服を直すと、似合い方も更新されますよ。
流行なんかは実のところ購買戦略ですから、私は気になりませんし追いません。みんなが着ているものを一緒に着たいとも思わないですし、誰かみたいになりたいとも思ったことはありません。
私には私しかなれないので、あるがままで努力するからこれでいいんです。
流行に乗り遅れることを怖がる女性は多いものですが、本当はそんなこと起こっていないんですよ。どう言うことなのかは、レッスンの時に種明かししています。
そういうものと果てしない追いかけっこをしても、大きなお金が飛んでくばかりで、それが続かなくなれば必ず突き放されます。
とは言っても、素材にはやはり耐用年数があって劣化するものもありますし、素材は大体3年くらいまでが綺麗に着られる期間でしょう。
デザイン的には定番のものでも、5年もすれば型落ち感がどことなく感じられ、自分も形も暮らしもフォルムチェンジしているでしょうし、もっと似合うものが違うものに変わっている頃だと思います。
その頃まで存分に着させてもらえていれば、もうその服の寿命の時と言ってもいいですよね。
そう言う時にはしがみ付かずに、きっぱり更新した方が無理を感じさせませんし自然体で素敵になれます。
私のクローゼットに迎えた服は多くはありません。
どこに仕舞われ、コーディネートを既存のものとどの様に組ませるか、着る頻度はどのくらいになって、何年くらい付き合えそうかを考えてから購入するので、出番がない服は1つもなく、全てが最高に好きで私らしく、思い出せない物もないので、開けるのが楽しいです。
ことの顛末を考える、買い物
今までに一度は、自分がどんな買い物をして、その買い物をしたことで世界のどんなことに影響を及ぼしていくのかを考えたことはありませんか?
例えば、家に溢れたものたち。
なぜそこにあって、なぜ今になって邪魔にされる?
買うときは「お金を払ってまで家に連れてきた」のに、断捨離断捨離!!とポイポイ捨て、間髪入れずにシンプルでかっこいいものに買い替えているのを頻繁に目にしますが、、、捨てられた物が哀れで胸がチクっと痛くなります。
簡単に買えるからこそ、賢くならなくては。
私には大事にしたいものがたくさんあります。
神々しい樹々や清らかな水が流れる自然が大好きだし、虫も面白いし鳥も獣も子供の時からすごく詳しくてハカセと言われるほどに生き物が大好き。
人が楽しそうにしているのを見るのも心地いい。
子どもたちが笑い転げているときは至福。
伝統的な趣のあるものに囲まれていると心が休まる。
とにかく私は純粋に、子供の頃からずっと地球が大好きなんだと思います。
そのために考えた買い物をし、悪影響が出ない様に工夫して暮らし、そういうことを共有するために働き、地球の物言わぬ仲間にとってのいい存在として生活できていたら嬉しいと思っています。
日々の生活で自分のしたこと1つ1つが、良くも悪くも自分の想像をはるかに超えて様々なことに連鎖してしまうことを意識するようにしています。
安くて次々に量販されるものが、どこでどう作られていて、そのせいで何が起きているか知っていれば、どんどん新しく買ってそれを嬉しそうに世間に見せることがどんなに罪か、わかるでしょう。
必要以上にどんどん消費することは、どんどん作れと煽っていることになります。買うことは出資していることと同じなので、直接この手で環境破壊や健康被害の元や、劣悪で過酷な労働をもっと強いることに加担していることになります。
過剰包装も、海洋プラスティック問題も、大気汚染も、食べ物の大量廃棄も、わたしたち一人一人が関わっていることですよね。
問題提起されている時だけ、偉そうに考えているふりをしていてはいけない問題です。
買い物をする、そのあとは必ず捨てる時が来る。
そのやり方1つで、簡単に悪いこととして積もり積もってしまうのですから。暮らすだけで、毎日買い物をします。だからどうしても、その度に何かに関わってしまうのです。
私には、力がありません。
でも、もし誰かに共感してもらえていたら、その人からまた誰かに伝わっていって、共鳴し、伝播するといいなと思っています。