先日のクライアントさまは、フルブラッシュアップコースのご受講のために、なんと3時間かけて静岡県磐田市から。もう感動しています!
それにしても、なぜそんなに遠くから足をお運び頂いたのかというと
「ちゃんと見てもらおう、と思ったから」ということでした。
若くてそれでいて礼儀正しくて可愛らしいかたなのですけれど
ほんとに、とても緊張されていて。
その理由は、講座の最初にするインタビューの時に分かりました。
お部屋に来ていただいて最初にご記入頂いたカルテには服のことしか書いていらっしゃらなかったですし、お顔立ちもそんなふうにコンプレックスがあるような風には全く見えない彼女。
心の奥にあることをゆっくりとお話しして下さって。
そのこと自体は、いまは過去ほど気になることではなくなっても、そうじゃないんですよね。いろんなことに深く結びついているものなので。
だから、その一つのアクションとして足をお運びになったのかな、と。
(ご本人のとてもデリケートなお話ですのでここで詳しいことはお話しませんし、今後だれかに話すこともありません)
カラー診断、骨格診断、とすすみ徐々に楽しそうになって。
最後のヘアメイクの体験では、お顔を覆うようにしていた髪もスイングさせて明るい印象に変わっていました。もともと可愛いけどキャラクターの良さが凄く出てきてるなと感じられました。
なんども「えー!すごい」「こんなに違うなんて」と驚いていらっしゃいました。
でも、ヘアメイクそんなに大きく変えていません。
似合う方向に、少し変えただけ。
ということは、もともとキレイの素がここに在ったということですよね。
ほんとうにほんとうに嬉しい時間、楽しい時間でした。
遠方からなのにうなぎパイまで頂いてしまって。なんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。
見た目、とくに首から上にコンプレックスがあると、とにかく誰が何と言おうと苦しいんですよね。
それは本当の事なのですよ。
私もそれ凄く分かるな、と思ったので。
見た目に強くコンプレックスがあることは、知られることが一番怖い。
そこに注目されることを避けたいから。
知られたくないそれは、お腹の底でなまりのように鈍くて黒い塊のよう。
何年もそこからジッと私を見ている。そんな気持ちから解放される時がなくて。
一生こうして気にしていかなくちゃいけないんだろうかと苦しくて、でもどうしたら良いか分からなくて。ぐるぐると巡って頭から離れない。
わたしも。
今も変わらずあるんですけどねコンプレックス。
でももう苦しみだとは感じなくなりました。
諦めたとか、そういう後ろ向きなことでも意地を張っているのでもありませんよ。
とても穏やかな心地よさで、自分の姿を認めています。
オリジナルの味と、以前より奥行きのある自分になれたことを嬉しく思って暮らしているのです。
それにしてもなんであの頃は、そんなにおなかの底が重かったのか。
今は分かります。
自分のことを凝視できないから、もちろん鏡でも写真でも見ようとしなくて避けていたんですが、それと同じように自分自身のことを全く見ようとしなかったから。自分の存在を無視してたのと同じだったのかも。
気持ちや価値観を無視したり我慢したりするほかにも、他人には絶対に向けられないような辛辣な事を実際に自分自身の話をするときに言っていましたし、思ってもいました。
スキンケアもゴシゴシして削ったり叩いたりと肌へのあたりが強かったし、お通じも悪くて、カラダは冷えていて、卵巣機能は落ちているし肌も悪かったです。
もしそれが自分ではなく他人からされていることだとしたら到底耐えられないような酷いことなのに、自分に対しては平気でやってしまう恐ろしさ。
思い起こしてみると、過去の自分にあんなにつらい思いをさせてごめんなさいという想いでいっぱいになります。
こうして書いていくと、コンプレックスって本当に怖い!と思うかもしれませんね。
どうやってコンプレックスを「減らす、目立たなくする」のか。
そこに注目するかもしれません。
それでも間違いではないと思います。
即効性はあるので。
でも、真髄は違う所にあるのです。
闇雲に見た目を変えていくのでは無くて、先ずは自分自身を成す全ての要素をありのまま真実を受け容れることです。
イイとか、良くない、とかそんなことじゃなくて。
そこに存在している素材として、事実として、今ここに居る自分だけをちゃんと見るんです。
そうすると、本当の事がわかるんですよ。
世間の空気感に翻弄されるのは全く意味がないことや、他人の情報にかく乱されることほど心底無駄でつまらないことはないのだと分かります。
コンプレックスが鍵になり、お陰で広がる世界観があることを知ると、頑張ってきた自分に感謝の気持ちが湧いてきます。
じぶんは、こうなんだと知る。
認める。許す。励ます。自由にやって良い許可を出す。
その積み重ねが小さな勇気になり、少しの自信になり、やがては何にも変えられない自分だけの価値を生みだします。
出来ない、悲しい、自分なんて。
私の方が大変なのに。なんでやってくれないの。
あの本は参考にならないとかいって
全て本の情報でどうにかしようとする心とか
ググっても出てこないから分からないとかいって
ことの発端を自分で考えを巡らせようとしない心とか
お友達の誰さんが言ってたとかいう話を本気にして
自分の信念に従った答えはなにか検討すらしない怠慢さとか
そういうことも同じこと。
すべて、繋がっていく。
そういうことが一日の大半を占めているうち、言い訳にしかならないことが口癖のうちは、いくら知識を入れたってそれはキレイになんてなれません。
だって、上手くいかないのは、練習が足りないからだもの。
方法が分からないのは、出来ない事にフォーカスしまくっているから見えてこないだけですから。
やれば上手にもなれるし、そこにはあたらしい閃きが待っているというのに。
とてもとても、勿体ないことです。
誰かと比較して悲観的になっても現実はなにも動かないでしょう。
その時間なにをしても、同じ時間が費やされて行くのにそれで自分は幸せなのだろうかと考える余裕は持っていたいもの。
そんな時間があるのなら、どうしたら叶うだろうかと挑戦することに時間を割いて、自分からことを動かしてしまえばいい。
どうしよう・・・と悩みのため息をつくのではなくて
どうしようか?と楽しい思案に暮れているほうが先は明るいのです。
日に日に輝き、きれいになれる人と
何をしてもピンとこないと勘違いして時間がかかる人との違いは
とにかく今出来ることを探して素直にやってみることが出来るかどうか。
自分のことも、人のことも、大事にしているかどうか。
そこに尽きるのだと思います。
私もほんとうに向かいたい方をむいて。
頑張る人を応援していきます!